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IKEDA Stories

PROFILE

池田武邦(いけだ たけくに)

1924年静岡生まれ。建築家、
日本設計元代表取締役社長、元会長

日本初の超高層建築・霞が関ビル(1968 年)の設計を経て、京王プラザホテル(1971 年)、新宿三井ビルディング(1974 年)など日本の超高層建築の黎明期を築く。1967 年日本設計事務所( 現:日本設計) を創立。1976 年11 月代表取締役社長、長崎オランダ村(1987 年)、それに続くハウステンボス(1992 年)では建築物という枠を超え、最先端の技術とエコロジカルなシステムを融合させた新しい街を創造する。1993 年4 月代表取締役会長、1993 年12 月~名誉会長、その後ハウステンボス代表取締役会長、ハウステンボス環境文化研究所所長、長崎総合科学大学教授等を歴任。

BIOGRAPHY

関連作品/著作

1924年(0歳)
鎌倉の家が関東大震災(1923年9月1日)で倒壊。
1月14日
避難先の静岡県で1月14日に生まれる
1925年(1歳)
長崎県佐世保市に在住
1926年(2歳)
藤沢に転居。幼少期を神奈川県藤沢市で過ごす
1930年(6歳)
藤沢小学校入学
1935年(11歳)
神奈川県立湘南中学校入学
1939年(15歳)
《第二次世界大戦始まる》
1940年(16歳)
海軍兵学校に入学
1941年(17歳)
12月
《太平洋戦争始まる》
1943年(19歳)
9月
海軍兵学校卒業。海軍少尉候補生となる
軽巡洋艦「矢矧」艤装員を拝命、佐世保軍港に着任
12月
軽巡洋艦「矢矧」航海士を拝命、南方に参戦
1944年(20歳)
《連合国ノルマンディ上陸》
4月
海軍少尉に任ぜられる
6月
第十戦隊旗艦「矢矧」航海士としてマリアナ沖海戦に出撃
9月
海軍中尉に任ぜられる
10月
第十戦隊旗艦「矢矧」航海士としてレイテ沖海戦に出撃
1945年(21歳)
4月6日
天一号作戦に従事し、第二水雷戦隊旗艦「矢矧」第四分隊長兼側的長として「大和」以下駆逐艦八隻と共に沖縄海上特攻作戦に出撃
4月7日
戦艦「大和」を始め軽巡洋艦「矢矧」ほか、駆逐艦「朝霜」を含む六隻が米軍に撃沈され、特攻作戦は中止となる。直撃弾の爆風によって顔面に火傷を負い、数時間漂流後、駆逐艦「冬月」に数助され佐世保に帰投する
5月
大竹海軍潜水学校教官となる
6月
海軍大尉に任ぜられる
8月15日
《太平洋戦争終戦》
10月
復員船「酒匂」に乗り込み、ニューギニア・ウェワーク島の日本陸軍復員兵の内地輸送など、復員業務に従事
1946年(22歳)
2月
復員船「洒匂」はビキニ環礁における原爆実験艦として米軍に接収され退艦。浦賀にて復員業務に従事
3月
復員官を退官
4月
東京帝国大学第一工学部建築学科に入学
1949年(25歳)
3月
東京大学第一工学部建築学科卒業
(株)山下寿郎設計事務所に入社
卒業論文「木材の燃焼速度に関する研究」佐野賞
卒業設計「ヨットハーバー」
1950年(26歳)
中条徳三郎長女、中条久子と結婚
1952年(28歳)
日本興業銀行本店(東京)
1954年(30歳)
富山市庁合(富山)
福島県庁舎(福島)
高井戸幼稚園(東京)
1955年(31歳)
日本専売公社京都病院(京都)
観泉寺幼稚園(東京)
1956年(32歳)
こどものくに幼稚園(東京)
1957年(33歳)
池田武邦自邸(東京、渋谷区)
1960年(36歳)
和田山団地公団住宅(静岡)
1961年(37歳)
工学博士取得。
学位論文「モデュラー・コオディネーションに関する建築計画的研究」東京大学
1963年(39歳)
『モデュール』(共著・彰国社)
1965年(41歳)
(株)山下寿郎設計事務所取締役に就任
岩手県庁舎(岩手)
1967年(43歳)
(株)山下寿郎設計事務所内部の意見の対立で辞職
(株)日本設計事務所を創立 取締役に就任
1968年(44歳)
「霞が関ビル」が日本建築学会業績賞を受賞
NHK放送センター(東京)
1970年(46歳)
三井記念病院(東京)
1972年(48歳)
東京都立中央図書館(東京)
『超高層建築』(共著・鹿島出版)
1973年(49歳)
『建築術』(共著・彰国社)
1974年(50歳)
(株)日本設計事務所代表取締役副社長に就任
1975年(51歳)
藤沢駅北口市街地再開発(神奈川)
1976年(52歳)
(株)日本設計事務所代表取締役社長に就任
1977年(53歳)
松田邸(大阪)
1979年(55歳)
パラグアイ国職業訓練センター(パラグアイ)
1980年(56歳)
ボリビア国スクレ消化器疾患センター(ボリビア)
筑波研究学園都市
工業技術院筑波研究センター(茨城)
1982年(58歳)
新橋演舞場(東京)
1985年(61歳)
小笠原ヨット・レースに参加、優勝する
日本アイ・ビー・エム大和研究所(神奈川)
沖縄・熱帯ドリームセンター(沖縄)
ケニア中央医療研究所(ケニア)
1986年(62歳)
富山県工業技術センター・中央研究所(富山)
徳島県庁舎(徳島)
1987年(63歳)
JIA建築家賠償責任保険審議会委員に就任
長崎オランダ村(長崎)
東京都多摩動物公園昆虫生態園(東京)
上海日航龍柏飯店(中国)
1988年(64歳)
千葉県立中央博物館(千葉)
滋賀県立小児保健医療センター(滋賀)
流通科学大学(兵庫)
香川県県民ホール(香川)
1989年(65歳)
建築審査会委員となる(〜1995年3月)
オランダ国国王より叙勲(Officer in Order by Orange Nassau)
かながわサイエンス・パーク(神奈川)
新日本製鐵八幡製鉄所・総合センター(福岡)
新川崎三井ビルディング(神奈川)
1990年(66歳)
(株)日本設計事務所から(株)日本設計へ、社名変更
日本建築学会副会長(〜1995年3月)
北京京廣中心(中国)
立教大学新座キャンパス(埼玉)
1991年(67歳)
東京都立大学新キャンパス(東京)
上海国際貿易中心(中国)
ランドマークタワー(インドネシア)
1992年(68歳)
長崎オランダ村・ハウステンボスオープン
富山市庁舎(富山)
『ハウステンボス』(日本設計編・講談社)
1993年(69歳)
世界都市開発協会(INTA)副会長に就任(〜2002年)
(株)日本設計代表取締役会長に就任
ハウステンボス環境文化研究所所長に就任
(株)日本設計相談役名誉会長
(株)日本設計池田研究室代表
高知県立美術館(高知)
1994年(70歳)
日本建築家協会名誉会員
1995年(71歳)
日本建築家協会都市災害特別委員会委員長に就任(〜1996年)
池田塾開設
1996年(72歳)
長崎総合科学大学教授に就任
JIA建築家賠償責任保険審議会委員長に就任
1997年(73歳)
樹木環境ネットワーク協会理事長に就任
1998年(74歳)
(株)日本設計名誉会長に就任
NPO 樹木・環境ネットワーク協会「聚」理事長に就任
『大地に建つ──200年後の建築家と子どもたちヘ』(ビオシティ出版)
1999年(75歳)
『ハウステンポス・エコシティヘの挑戦』(かもがわブックレツト)
2000年(76歳)
JIA建築家賠償責任保険審議会委員長を退任
ハウステンボス(株)代表取締役会長に就任(〜2003年)
『人と自然──共生の作法』(長崎出島出版)
2001年(77歳)
長崎大村湾の琵琶の首鼻に茅葺の「邦久庵」を建て夫人と共に居住
2002年(78歳)
日本建築学会名誉会員
2004年(80歳)
長崎総合科学大学にて最終講義を行なう。題は「21世紀は江戸に学べ 持続可能な循環型社会の創造のために」。以降、各地に招かれて「池田塾」を開催
2008年(84歳)
NHKハイビジョン特集「日本の風景を変えた男たち──廃墟から超高層ビル、そして──池田武邦が語る戦後」を放映
2009年(85歳)
『昭和二十年夏、僕は兵士だった』(梯久美子著・角川書店)
2010年(86歳)
「日本の木の家づくり──サミットインくまもと」に参加、「世界に伝える日本のこころ」と題し講演
『軍艦「矢矧」海戦記──建築家・池田武邦の太平洋戦争』(井川聡著・光人社)
『千年の街──ハウステンボス物語』(蒼木漂々著・文芸社)
2011年(87歳)
『次世代への伝言──自然の本質と人間の生き方を語る』(共著・地湧社)
2012年(88歳)
米寿の会「もう一人の池田さん」
『二十一世紀は江戸に学ベ──近代科学技術文明を問い直す』(発行:A&Aパブリッシング、発売:河出書房新社)
『超高層から茅葺きへ──ハウステンポスに見る池田武邦の作法』(井川聡著・海鳥社)
2013年(89歳)
『建築家の畏敬―池田武邦 近代技術文明を問う(建築家会館の本)』(共著・建築ジャーナル)
2022年(98歳)
5月15日永眠。享年98歳

STORY

池田武邦がこれまでの人生から得たこと、そしてこれからの未来を生きる人々に伝えたいことを語った
池田が92歳 2016年6月に行われたインタビュー。
株式会社オカムラのご協力を得て、wave+より転載させていただきました。

前編「海軍兵学校に入学~終戦」

池田武邦は二十歳の時、海軍士官としてマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、そして沖縄海上特攻と太平洋戦争後期の三大海戦のすべてに参戦し、生還。

中編「戦地に取り残された兵士のために~日本設計事務所を設立~最大の転機」

戦後、建築家になり、日本設計を創立し、霞が関ビルを皮切りに京王プラザホテルや新宿三井ビルを中心となって設計。
しかしある時期から超高層ビルの建設に疑問を抱き最大の転機が訪れます。

後編「長崎オランダ村~現代を生きる人々への提言~邦久庵」

海軍時代から深い縁がある長崎。長崎オランダ村やハウステンボスなど環境共生型のテーマパークの設計に携わりました。
その後は21世紀のあるべき日本の都市や建築を追求し、無償で地方の限界集落の再生や町づくりにも尽力しました。

VIDEOS

近代を開拓する 1

「戦争で感じた近代技術文明」​
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

近代を開拓する 2

「真の近代建築とモジュラーコーディネーション」​
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

近代を開拓する 3

「グループダイナミクス、日本設計のはじまり」
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

近代を開拓する 4

「組織のデザインフィロソフィー」
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

近代を超克する 1

「自然に対する感性への気づき」
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

近代を超克する 2

「自然に対する感性を取り戻す」
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

近代を超克する 3

「環境建築のはじまり」
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

近代を超克する 4

「環境技術の追求」​
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

近代を超克する 5

「生態系を回復させる」
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

近代を超克する 6

「近代技術文明の本質はなにか」
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

近代を超克する 7

「江戸に学ぶ」
2022年7月19日池田武邦お別れの会 回顧展での映像です。​

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