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2023.12.13
think都市建築 連続セミナー 第6回

都市の未来と防災

 

都市が直面する課題は、交通、環境問題、防災、エネルギーと時代とともに、複雑化しています。
think都市建築連続セミナーの第6回は、関東大震災100年の今、私たちは改めて都市における防災について考える機会として、工学院大学教授の久田 嘉章先生を講師にお招きし、「都市の未来と防災」をテーマに座談会を開催しました。
過去の災害経験から、単なる力技ではなく、地域特性や人々の知恵を取り入れたアプローチが求められています。地震・火災・水害など同時に発生する複合災害を見据え、領域を横断した持続可能な防災対策の必要性、地域コミュニティの重要性や建築家が担うべき役割、持続可能な都市防災に向けたアクションなどを議論しました。

講師:久田 嘉章 氏 工学院大学建築学部まちづくり学科 教授
登壇者:篠﨑 淳 日本設計 代表取締役社長  越川 裕康 日本設計 都市計画群 副群長 

都市の未来と防災
– 100年で見えてきた災害の多様性
– 領域を越えた総合的な防災対策に向けて
– 都市防災のためのコミュニティの形成
– 防災技術により変わる街の仕組み
– 守るべき場所を守る
– 逃げ込める・留まれるまちづくりを
– 持続可能な防災を目指して

 

100年で見えてきた災害の多様性
関東大震災以降、複雑化する地震災害とともにどのように対応してきたか。

 

篠崎 私たちは東日本大震災で被害を受けた 石ノ森萬画館(2001年)や アクアマリンふくしま(2000年:本館、2010年:子ども体験館)の復興支援の経験から、「防災」の難しさを強く感じています。建物は残っても、それを支えるインフラが、すべて分断された状況を目の当たりにし、建築だけで考えては駄目だなと思い知りました。地元の方々の話を聞き、どれだけこの災害が大きなインパクトを持っていたかを肌で感じると同時に、大規模な防潮堤のような事業が、真のサステナビリティを獲得できるのかという疑問も持ちました。その後、私たちは熊本地震での熊本城復旧プロジェクトに関わらせていただいたのですが、改めて災害復興には人々の知恵が何より重要だと感じました。今日は力技ではない防災のあり方について、議論させていただきたいと思っています。

久田 関東大震災から100年が経ちました。これまでどのような災害を受け、その度に街や建築がどのような対策をしてきたかをまずは振り返ってみたいと思います。関東大震災(1923年)では、地震、火災、津波、土砂災害などが発生しました。大きな被害は火災というイメージがありますが、地域によって被害の様相は大きく異なり、その後の防災対策も異なってきました。建築は耐震性や防火性を向上させる取り組みを、都市においては木造住宅密集地域(以下、木密地域)の延焼火災への対策や避難訓練が行われてきました。阪神淡路大震災(1995年)では、活断層の直下型地震により古い建物の倒壊や家具の下敷きによる犠牲者が出ました。関東大震災以来、大都市の震災対策は木密地域の延焼火災からの避難を前提にしていましたが、大勢の閉じ込められた住民が助けを求める状況となりました。地域住民は懸命に初期消火や救援作業を行いましたが、防災資機材などの準備がなく、多数の救える命があったと言われています。従来の「逃げる対策」から「逃げる必要のない対策」の必要性が認識された大きな変換点となった震災でした。
東日本大震災(2011年)では、津波の被害が顕著でしたが、地震と津波、火災、土砂災害、ため池洪水、原発事故などの複合災害の課題も浮き彫りになりました。東京では公共交通機関が停止し、都心部では帰宅困難者が街道に溢れ大渋滞となり、消防車や救急車が動けない深刻な状況となりました。東京では甚大な被害は生じませんでしたが、今後の首都直下地震などを想定して、最長で3日間は帰宅させず待機を推進する方策に変換しました。また長周期地震動により東京や大阪で超高層建築が大きく揺れ、さまざまな室内被害やエレベータなどの閉じ込め事故が発生しました。災害発生時に対応が期待されている防災センターは低層階にあり、高層階の被害の様相が全く把握できず、適切な対応が行えませんでした。今後の南海トラフ巨大地震などを想定して長周期地震動対策の重要性が改めて認識されています。熊本地震(2016年)では、活断層帯地震による震度7の強い揺れで多数の建物に被害が発生しました。一方、1981年耐震基準の非木造建物や2000年耐震基準の木造住宅では倒壊率が低く、さらに耐震等級3や免震建築はほぼ無被害で、耐震対策の重要性が再確認されました。また直接死が50名に対して、220名を超える災害関連死が発生するなどの課題が浮き彫りになりました。現在の東京では建て替えやリニューアルが進み、「東京都の新たな被害想定」(2022年東京都防災会議)においても被害の数値は10年前の想定と比べると3割程度減少していますが、複合災害への備えや地域格差などの課題もあります。今後は、さらなる耐震性や防災対策を考慮した建築やまちづくりが求められる時代になると考えています。


(写真左)石ノ森萬画館 宮城県石巻市。漫画家・石ノ森章太郎のマンガミュージアム。復旧を経て2012年11月に営業再開。その後、展示室の一部を刷新し2013年3月にリニューアルオープン。
(写真右)アクアマリンふくしま 福島県いわき市。小名浜港に面する海洋科学館。多くの支援と努力により、震災後4ヶ月で再オープンを果たす。

 

領域を越えた総合的な防災対策に向けて
巨大構造物の限界が見えてきた今、領域や個々の災害を越えた対策が求められている。

 

越川 地域防災に係る研究発表(※1)によると、現在、浸水想定区域内の人口は約3500万人との見解がなされています。東日本大震災以降、防潮堤などの巨大な土木構造物が被災6県の海岸沿いに整備されていますが、このまま巨大構造物を作り続けていくことが、都市防災の観点でよいのかと疑問を感じます。長期的な維持管理や公的な支援には限界があると思います。大規模な土木構造物による対策だけではない、建築的な解決法があるのではという視点からも議論を進めていきたいと思っています。

篠﨑 防潮堤についての維持管理を含めた現状をどうお考えでしょうか?

久田 まず長期的な維持管理は難しい。例えば奥尻島では、1993年に北海道南西沖地震が発生し大津波の被害を受けました。国の復興支援事業費や義援金で約1000億円が投入され、その中で10m以上の巨大防潮堤や港に高床の人工地盤が建設されました。しかし、建設はできたものの、人口減少が進む小さな自治体ではその後の維持管理が非常に困難だと考えます。東日本大震災から10年余りが経過した今、50年、100年後の状況をしっかり見て、自治体や住民が自ら継続できる身の丈に合った対策が必要だと思います。

越川 海辺や川沿いなど本来であれば自然と密着した生活が可能な場所が、結果として自然から切り離されるという問題もあります。

久田 農業を営む家は田んぼ近くの低地に、漁業の関係者は港の近くに住むのは当然です。海や川が見えることは、普段は遊ぶ楽しみもあり、同時に危険も理解できるわけですから、それを巨大な壁で遮断することはこれから目指すべき対策ではないと思います。高い堤防や防潮堤を作ると、それを水が超えた場合に高速射流(※2)となり、建物を破壊します。さらに内側では排水が困難になり内水氾濫(※3)が起きやすくなります。さらに、近年では地球温暖化による豪雨の増大などで公共土木事業による河川堤内に水を閉じ込めることが困難となり、洪水や内水氾濫が起ることを前提とした対策が求められる状況になりました。このため、最近では流域治水と呼ばれる取り組みが始まっています。流域治水とは、海につながる川の元である山から河口まで、流域に関わるあらゆる関係者が協働して水害対策を行う考え方です。浸水時に逃げるだけでなく、建築やまちづくりによる対策も非常に重要です。

篠崎 今までは海の場合、川の場合と個別に対応していましたが、総合的な視点が必要と思いますが、学会では議論されていますか?

久田 建築学会もようやく分野を超えた委員会を設置し、従来の地震と火災から、水害や土砂災害、火山噴火などマルチハザードに対応できる建築やまちづくりを推進する委員会を設置し、調査研究活動を進めています。活動は始まったばかりで、社会への提言力はまだ弱いですが、土木学会とも連携しながら取り組んでいます。多くの土木の先生方も防潮堤や堤防、ダムなど公共事業だけで対策することが良いとは思っていないことが分かりました。大雨により山が崩れたり、洪水が起きたりすることは自然現象です。本来は住む場所でないところに宅地を拡大してきたことによる被害もあります。少子高齢化、人口減少が進む今後の社会では自然現象に逆らうような公共事業を続けることは不可能であり、本来の自然に戻すことや昔からの知恵を学びながら、お互いの視点を生かし連携する取り組みが始まっています。

※1.「 全国ならびに都道府県別の浸水想定区域内人口の推移」 山梨大学/秦康範准教授 日本災害情報学会 2018.10
※2. 水の流速が波の伝播速度より早い状態を射流という。特に、高い堤防や防潮堤から水が溢れ出たり、決壊した場合、高速度で破壊力ある水流が発生する。
※3. 河川の水位の上昇や流域内の多量の降雨などにより、河川外における住宅地などの排水施設の能力が不足し排除できずに溜まり浸水すること。

 

都市防災のためのコミュニティの形成
地域の歴史や文化に基づいた場や共同体の醸成が街を守るという意識につながる。

 

越川 土木的な対応が限界に達しており、総合的な視点で取り組むべきという議論をしてきました。現在、約3,500万人つまり日本の人口の約30%が水害危険地域に住んでいますが火災に対しても同様の状況が存在すると思います。このような現状を踏まえて、都市計画をどのように進めていくかが問われていると思います。建物側だけでなく、地方都市でも東京の都心部でも地域コミュニティの役割や共同体の意義は非常に重要だと思います。

久田 その地域の住民たちが、自分たちの街に誇りを持ち、何かあったら守ろうという意識がなければ持続可能性はありません。海や川など魅力的な自然があり、それをもっと自慢できるようなまちづくりや共同体の取り組みがあれば、人々は一緒に街を守ろうと思うでしょう。災害が起こるたびに古い建物が否定され、新しい建物に更新されてしまいますが、昔からある建物には地元の災害に対応した文化が残っています。良い思い出だけでなく、過去の災害の経験も含めて建物と共に地域のストーリーを共有することで持続可能性が生まれます。税金を投入するだけでは限界がありますから、その地域が自分たちの身の丈に合った魅力を持つことができれば、新しい人々を呼び込むこともできるでしょう。私たち建築家はその手助けをしていく役割を担うべきだと思います。


工学院大学 建築学部まちづくり学科 教授 久田 嘉章 氏

篠﨑 防災の根底に、ハードウェアだけではなく、共同体が必要なのだとすると、魅力的な街並みや佇まい、歴史といったものがますます重要になるのでしょうね。

久田 そうですね。お祭りやイベントなどを通じて歴史や文化が形成されていきます。そのような場や仕組みを作るのは建築家の役割だと思います。

越川 私たちは現在、再開発の中で都市防災の観点からも広域的なエリアでのまちづくりの提案を行っています。3日間の滞在などの行政の指導もありますが、例えば計画地の後背地に居住している住民などに対する安全装置としての機能を少しでも担いたいという目的をもって提案しています。建物側で物理的に用意するだけでは難しく、再開発ビルのオフィスワーカーや来街者の視点だけではなく地域の資源や社会との共生を喚起させるようなテーマ性を持ってまちづくりに取り組む必要があります。

 

防災技術により変わる街の仕組み
地域の歴史や文化を尊重し、最新技術を活用した都市防災のアプローチで街並みを守る。

 

越川 都市防災において、新しい技術を取り入れることで、土着的な摂理に則った都市建築を実現できる可能性があると考えています。土着的とは、自然美や生活的な美しさが融合した風景のことです。防災技術の向上により風情ある街並みの保全や活用が可能となるのではないかと考えます。

篠﨑 京都のような伝統的な街並みだけでなく、新宿西口の思い出横丁のような大都市内の木密地域の街並みも残せるとよいですね。


東京都新宿区。新宿駅西口に位置し、木造で壁を共有した約80の店舗が連なる飲み屋街。

久田 これまで大都市では、延焼火災防止のために幹線道沿いに規制緩和などで高層の耐火建築を整備して延焼遮断帯を整備してきました。その結果、更新が進む延焼遮断帯と、その内側に取り残された木密地域とが分断した状況が生まれています。既存不適格建築や木密地域に対して否定的な見方が主流になっていますが、アンと呼ばれる木密地域の方が昔からの歴史や文化があり、コミュニティとしても面白いですね。こうした地域では清掃や防犯、植栽管理や火の用心、お祭などの地域活動が残っているところが多いですが、ガワと呼ばれる幹線道路沿いの耐火建築群に住む人たちはそれらにはあまり参加せず、お祭りは騒音だとクレームがでることもあると聞きます。

篠﨑 建築基準法では幅員4m以上の道路に2m以上接道していないと建物が建てられません。これが木密地域の更新が進まない一因になっています。以前、道路幅員は4mも必要ないのではというお話をされていましたね。

久田 道路が4m未満ですと危険なブロック壁の更新も難しく、壁を撤去する工事の補助金を受けるためには道路の拡幅整備協議が必要となり、そもそも建て替えのハードルが高い。そうした状況の中で危険な壁や空き家が残り続け、環境を悪化させています。なぜ4m必要なのか調べたことがありますが、昔は疫病の防止や防火・防空、さらには将来の車社会の到来を想定して決めたようです。現在では消防車が家の前に停められるということが理由でしょうか。しかしながら、今では技術開発が進み木造でも耐火建築ができますし、耐震性も確保できます。消火については、今のように消火栓が道路に埋まっている状態では、スタンドパイプとホースを遠い地域の防災倉庫から運んで来る必要があり、いざというときに使うのは大変です。誰もが使いやすい消火栓とホースを要所に設置すれば、震災時に消防車が来なくても、住民による消火活動は十分に行えます。

篠﨑 むしろ街並みにフィットする防災をデザインすればよいと。

久田 京都の祇園などでは実際にデザインされています。例えば道路幅が4m以上なくても同等以上の性能が確保できているのであれば、建物をリニューアルしてもよいという3項道路指定や連坦建築物設計制度なども整備されてきています。無理に道路を広げるのではなく、裏路地のような場所なら車が入らない方が良いと思います。ただし、このような制度を実現するには通路や路地沿いの全ての住民の合意が必要であり、そのコーディネイトを行う人材や資金、自治体の認識も不足しており、あまり進んでいないようです。

篠﨑 古いものを生かすには木造の耐震と防火の技術が前提というわけですね。街並みについては道路幅員が4mないと更新の制約が大きいという仕組み自体も改める必要があります。

久田 今は昔からの外装を残しながら、内部は最新の技術を用いて耐震性や耐火性を確保することができます。今後都心部は、車の通行を制限したウォーカブルな街がどんどん主流になっていきます。アクセスできる場所は確保しつつ、むしろ車が入れない街をつくるという提案もあるのではないでしょうか。

篠﨑 そういう提案ができれば思い出横丁も残せるかもしれません。歴史的建築物や京都の町家も同じだと思います。

久田 ただ京都の裏路地の歴史ある町家と同じような仕組みが東京で使えるかというと、少し敷居が高すぎておそらく無理ですね。

越川 そうですね。文化財保護法はエリア指定が第一ハードルです。伝統建築群として保存すべきエリアであるという位置づけが重要になります。

久田 今後、耐震・耐火や環境面で技術的にさらに優れたものができるでしょう。関東大震災から100年以上経っても変わらない状況が続く中で、新しい考え方が必要です。

 

守るべき場所を守る
地域の魅力を引き出しながら、耐震性と環境を両立させた未来志向の防災・まちづくりが求められている。

 

久田 近年では、大都市圏の人口増大により高度成長の時代に投機的に開発された土地が問題になっています。当時は土地価格が上がるという予想もあり、人々が住んでいましたが、人口減少により、ライフラインの維持管理は成り立たなくなっています。また、昔の基準で造られた盛り土や擁壁が、崩壊の恐れがあるということで大きな問題となっています。耐震性や排水性能を確保する必要がありますが、修復には膨大な費用がかかります。費用対効果や持続可能性を考える必要があります。

篠﨑 盛り土や擁壁の問題は、最近も取り上げられていましたね。土木的な基準がないのでしょうか。


日本設計 代表取締役社長 篠﨑 淳

久田 基準はありますが、やはりこれも維持管理の問題が大きい。擁壁の排水の穴が詰まると土圧が高まり、隙間から水が漏れて劣化していきます。雨水に関しては、基本的には下水に流すのではなく、できるだけ緑や土など自然に返すよう地下水として浸透させることが重要です。建築や広場においても積極的にグリーンインフラとして利用を促せば内水氾濫の危険も減ると思います。

災害現場は訪れるべきだと考えており、近年では、熱海の土石流災害や佐賀県の六角川の内水氾濫などの被災地を訪ねました。六角川は洪水を起こすたびに本流の堤防を高くして、その結果、住宅地より水位が高い天井川になっています。普段は住宅地の排水路や支流の水を排水ポンプで本流に排水していますが、大雨で本流が危険水位に達すると堤防決壊を避けるために排水ポンプを止めてしまいます。その結果、当然、内水氾濫が発生して住宅地が浸水します。昔であれば高床や盛り土などの改善策を取ったでしょうが、現在は河川改修などの公共事業に過度に期待し、水害保険などによる原状復帰を行うため同じ被害を繰り返しています。理想的には住宅は堤防より高い盛り土の安全な場所に集約し、水が来る場所は遊水地や農地とするなど土木と建築の統合的な対策が理想ではないかと思います。しかしながら、現状はそれを束ねる司令塔が不在であるため、バラバラで場当たり的な対策を行っている状態だと思いました。

篠﨑 本来なら、高床にする地域を定めるなど、都市計画的なビジョンも合わせて持つべきということですね。

久田 防災だけでなく、地域の魅力を引き出す未来志向のビジョンも重要だと思います。熱海の土石流の場合では、鉄筋コンクリート造(以下、RC造)の建物は構造的には被害がなく、上層階に避難できた人たちは助かっています。土石流が起こるような危険地域には将来的には住むべきではないですが、昔から住んでいる方もいて、別の場所へ移住することは難しいです。そういう方のためには、RC造の土砂防止壁を作ったり、1階をRC造や鉄骨造のピロティに、2階を木造にする混構造にしたり、あるいは地域の中で逃げ込めるRC造の施設を作ったりとさまざまな建築的対策ができます。しかし、現在の対策はそういったことをせずに砂防ダムや河川改修など土木事業に頼ることがほとんどです。

篠﨑 砂防ダムは環境に良くないという議論もあります。

久田 穴を明けて水を通す構造の透過型砂防ダムがありますが、それが本当に環境に良いのかどうかは議論になっています。水は通すけれど土砂を止めてしまうため、結局、海まで続く河川の自然な流れを遮断し、海岸の砂浜などが痩せていきます。長い視点でみると自然現象を止めることは不可能です。どうしても必要なところは守りますが、後はできるだけ自然に戻していくという選択と集中がこれからのサステナビリティだと思います。災害危険地域の中では人口が減少し、経済的に困難な地域もあります。これらの地域の住民と協議しながら、将来的には安全な場所への移住も考えるべきです。既に住んでいる人々は守らなければなりませんが、しっかりと保障して、もう少し安全な場所に移住し、その場所は田畑や自然に戻すような提案をするべきではと思います。大規模な水害や土砂災害が発生する度に場当たり的で持続可能性に乏しい巨大公共事業を行うのと、長い時間をかけて自然に逆らわないまちづくり対策を行うのとでは、どちらが長期的に費用対効果があるのかなどの検討が必要です。

 

逃げ込める・留まれるまちづくりを
地域資源を生かし横断的で総合的な視点で持続可能な防災体制を構築する。

 

越川 大都市において、今までは、歴史や文化、緑、歩行者ネットワークなどを捉えたうえで来街者を呼び込むための提案をしてきました。これからは地域社会における都市防災の貢献など逃げ込めるまちづくりや地域資源と共生したまちづくりが進むのではと思います。

久田 現在、火災では「逃げる対策」を前提として都内全域で広域避難場所が指定されています。例えば広場が足りない中野区では広域避難場所の一部は近隣の新宿中央公園などの都心に避難するよう指示されています。一方、新宿中央公園は何万人もの都心の帰宅困難者のための一時滞在場所に指定されています。関東大震災時に空き地だった被服廠跡地に約4万人の群衆が集まり、強風にあおられた炎によりほぼ全員が犠牲になりました。また同じような被害や群衆事故が生じる可能性のある人口が密集した都心の場所にあえて大群衆を集めるのか疑問に思います。その地域ごとに耐震・耐火性を高めて自分たちで消火できるようにして「逃げる必要のない・逃げ込める対策」を推進し、それでも駄目な場合の最後の手段として逃げるということも考えられます。

篠﨑 その場合、一時滞在場所は足りるのでしょうか?

久田 まさに今、新宿駅周辺防災対策協議会を設置して地域連携による「逃げる必要のない対策」に取り組んでいます。帰宅困難者の一時滞在施設として民間の施設を増やそうとしていますが、実際には圧倒的に不足しています。

篠﨑 私たちが関わった四ツ谷駅前の再開発の コモレ四谷(2020年)では、敷地北側の広場を隣接する住宅密集地の住民のための一時集合場所とし、駅前側の広場を帰宅困難者の受け入れ場所としました。都心部の民間施設の防災への貢献を考える上では、地域の住民と帰宅困難者という、性格の異なる2つの避難者に対して、どのような支援や物資が必要なのかも考える必要があると思います。

久田 行政はどうしても平常時を前提とした縦割りの傾向があります。災害時の避難所は市区町村ごとに指定されていますが、延焼火災からの避難場所は広域になるので都の都市整備局が指定しています。そのため、火災からの避難場所と震災で開設される避難所は異なります。さらに深刻なのは水害からの避難です。区ごとに避難場所が指定されるため、すぐ近くに高台があるのに隣の区であるため、危険な川の対岸に避難する計画ということもあり得る。隣の区の高台の活用は区では対応できず、住民自身が動く必要があります。しかし、住民には専門知識が少なく、計画の作成も難しい。こういった問題の解決には建築家ができることは多いのではと思います。

篠﨑 区や市町村といった行政単位を超えて、行政や住民と話し合いながら、全てを包括的にみることができるのは都市計画家や建築家ではないでしょうか。コミュニティが形成され、行政単位などを越えた効果的な避難方法を実現しないと、またコンクリートで固められてしまうことになります。

越川 私たちが生活する現代では頻繁に災害が起こります。そのため、都市のあるべき姿を考える際には総合的な防災の視点が重要ですね。都市防災をエリアデザインのなかで取り入れる際に難しいのは、そのエリア設定です。防災的観点に立った時どのようなエリアを最小単位として捉えるべきでしょうか。


日本設計 都市計画群 副群長 越川 裕康

久田 自治会や集合住宅の管理組合のように仕組みをうまく使えば自分たちで決められる組織を私たちは持っています。専門知識が必要ですが、無給では若い希望者が現れず、高齢化が進んでおりなかなか機能していない状況もあります。ただコミュニティでつながっていないと何か活動しようとしても一緒にできません。お祭り、イベントや清掃活動といった街を良くして行こうという活動は自治会などの単位で行われているので、これが一つの単位ではと思います。

篠﨑 江戸時代の下町の防災システムはコミュニティと一体だったと思います。当時火災が多発する状況の中、コミュニティとしての約束事が出来ていたと言われます。現代でも日常的にさまざまな災害が起きていますが、一番大事なことは災害のリアリティをコミュニティで共有できるかだと思います。それができれば、結束も生まれるのではないでしょうか。社会の仕組みとして、さまざまなものに対するリアリティを持つことが必要なのではと思います。

久田 そうですね。例えば防災避難訓練では、高層マンションの住民参加は少ないです。コミュニティに関わりたくないからこそマンションに住んでいるのかもしれませんが、実際に地震が起きると、エレベータが止まり通信も輻輳して、高層階には誰も助けに来られません。火事や負傷者、閉じ込め事故が発生した場合、隣の住民が助け合うしかないのです。また、もう一つの懸念として、災害時の生活再建などの公的支援や地震保険などは、これまでの経験から全壊などの被害が出やすい古い低層住宅を主な対象としていました。一方、RC造のマンションは木造住宅に比べ強固に作られているので、構造的に深刻な被害は殆ど出ませんが、間仕切り壁や内外装など非構造部材や設備機器に被害は出るはずです。それらの修復には相当な費用がかかります。ただし、区分所有者は高齢者から若者、投機目的の企業など多様です。普段からのコミュニティのないマンションでは、修復か建て直しかなどの合意形成が困難になることが心配されています。

 

持続可能な防災を目指して
地域が連携した民間建物の活用やその地域の防災を担うリーダーが必要とされている。

 

久田 耐火・耐震・耐水など災害対策の進んだマンションは地域貢献できる施設になります。東日本大震災では津波避難ビルとして大勢の住民を救いましたし、浦安では大規模な液状化により多くの住宅が傾きましたが、被害を逃れた杭基礎のマンションでは地域の避難所として貢献した事例もありました。荒川が氾濫した場合には、東京の下町ではほぼ全域が浸水想定地域であり、250万人の住民が広域避難することになっています。しかし、どのような手順で移動するのか、そもそも無統制の大群衆の移動は大変危険であり、これまで橋や狭い路地での群衆事故で大勢が亡くなっています。早めに逃げられる人は逃げれば良いですが、混乱する状況になるのは明らかです。水害が発生した場合には小中学校などの公的な施設だけでなく、地域内の民間の高層建物に逃げ込めればよいと思います。

篠﨑 以前、津波時の避難時間をシミュレーションしたことがありますが、広域で浸水が起こると、民間建物を活用しないと間に合わないと感じました。

久田 民間建物の場合はプライベート空間やセキュリティの確保やゾーニングが重要ですし、水や食料、トイレなどの備蓄も必要です。孤立した場合の通信手段やボートも重要ですので、まちづくりの視点で対応する必要があります。土木的な対策としては、堤防や地下の貯水池整備などがありますが、それでは限界があります。

篠﨑 土木的な解決策だけでなく、民間での発電機の設置や高所への屋外階段の設置といった対策に対して、費用対効果を評価する仕組みがあれば発想が変わるかもしれません。例えば、四国には津波避難タワーが数多くありますが、避難以外の利用が制限されているものがあり、日常では使えずもったいないと思います。

久田 平常時は、宿泊や食事ができる観光施設として利用するとか、マンションだとか普段から使っている施設と兼ねられるとよいですね。防災訓練にしか使えない建物は維持管理ができません。特に1000年に一度の最大規模の水害だけでなく、可能性の極めて高い中小規模の水害も想定して、普段使っている施設を活用して生存確率を高め、できるだけ被害を低減すべきです。例えば、伝統的に高台の神社は普段は冠婚葬祭や子供たちの遊び場として利用し、災害時には避難場所として使っていました。現代では商業施設など民間の施設でもよいです。公共である必要はありません。地域が連携し、公的支援のもとで民間建物が活用できるとよいと思います。

篠﨑 東日本大震災後、いわき市地域防災交流センター 久之浜・大久ふれあい館(2016年)を設計しました。普段は公民館や市役所の支所として利用されていますが、備蓄倉庫や非常用発電設備を設けることで、被災時には上階の公民館を一気に避難施設に切り替えて利用できるようにしています。プロポーザルでは、この日常と被災時の転用の仕組みを提案しましたが、これはオフィスビルなどでも転用できるアイデアです。

越川 現在の受け入れ施設はまだ課題があります。ロビーや一部ホールなどはそのとき空いていれば避難場所として開放されることもありますが、もう一歩進んだ提案は難しい。こういった取り組みの制度化が進み、建物だけでなく防災の観点でコミュニティも評価していくような提案ができればと思います。

久田 住民だけでは対応できないため、専門家の育成や地域貢献する建物を評価する制度などの公的支援が必要です。平常時のコミュニティ活動や有事の際に有効に対応するには、中心になるリーダーが重要になります。自治会や管理組合などのボランティアだけでは持続的な運営はできません。ある程度大規模な地域では、平常時には地域を活性化するエリアマネジメントを担い、災害時には防災担当としての専門の人材を配置するなど、持続可能な仕組みを作らなければなりません。国土強靱化計画の予算は圧倒的に公共事業に割かれています。しかし、それでは結局コンクリートの塊を作るだけになってしまい、持続可能性がなくなってしまいます。投資対象をコンクリートから人へと変える仕組みを作る必要があります。

越川 六本木ヒルズでは、東日本震災当時、電力の自立に注目が集まり多く報道されていました。竣工した2003年当時はその必要性を疑問視する声もありましたが、今では災害対応として珍しいことではありません。実際に災害が起こってから、防災の視点でのまちづくりがもっと行われていれば良かったと思うのでは遅すぎます。

篠﨑 東日本大震災以降、大規模複合開発では電力自給や避難の受け入れなどは、当たり前になりました。しかし今は、防災をもう少し広いエリア単位で捉えなおす必要を感じています。私たちは、特に2000年代以降、単体建物に留まらない、近接した地域全体へのビジョンをもったまちづくりに取り組んできました。このエリアデザインと呼ぶアプローチを、防災の視点でも深度化し、コミュニティ形成やエリアマネジメントと結びつけ、都市と建築のデザインに何が出来るのかを考え、未来に向け提案していきたいと今強く思っています。


(写真左)コモレ四谷 東京都新宿区。周辺住民の一時集合場所となる「コモレビの広場」。平常時は地域の憩いの場となりイベント開催も可能。
(写真右)いわき市地域防災交流センター 久之浜・大久ふれあい館 福島県いわき市。津波の波力を受け流す外装とし、「徹底した見える化」は災害時における避難及び状況確認のしやすさに寄与。

連続セミナーの第5回~第7回ご案内はこちら

 

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