訪ねてもらいたい─福岡 大濠公園~天神まちあるき
【前編】(大濠公園~大名)
天神ビッグバンや博多コネクティッドといった容積緩和を含むビルの建替を推進する政策により福岡の街は急激に変化しています。
今回は九州で都市計画に関わる中山 宗清(都市計画群)・百武 恭司(企画推進部)を案内人として、入社5年・6年目の日本設計社員3名が福岡の街を歩きました。大濠公園・福岡城跡近辺から天神へ向かうなかで、江戸時代の街割りの面影が残る街から開発が進む街へ、都市における歴史の重ね合わせとダイナミズムを感じる街歩きとなりました。

NHK福岡放送局前にてレポーターの3名。 写真左から、嶋田 康志(九州支社 建築設計部)、邢 絲琦(ランドスケープ・都市基盤設計部)、吉田 奈菜(都市計画群)。
豊かな自然と向き合う建築を巡る
大濠公園
本日の街歩きは、大濠公園と、その周辺の建築からスタートします。
大濠公園は、慶長年間、初代福岡藩主黒田長政が福岡城を築城する時、博多湾の入り江であったこの地が外堀として利用されていましたが、ここで開かれた東亜勧業博覧会を機に造園工事を行い、1930年に開園した約40万㎡の水景公園です。
百武:約22万㎡の池を有した全国有数の水景公園で、ジョギングコースや子供たちの遊び場として、地域住民の憩いの場になっています。インバウンド需要も多く、以前は天神などが人気だったのが、近年は大濠公園付近で思い思いにゆっくり過ごす観光客も多くなっています。
中山:この辺りは能楽堂(設計:大江匡)や武道館、日本庭園、NHK福岡放送局(設計:日本設計)、大濠高校(設計:日本設計)、大村美容専門学校・ルミエール(1999年、設計:高松伸)などの文化・教育施設があり、文教エリアとしても知られています。

大濠公園
吉田:天神から徒歩30分程度という、都心部から近い距離感でこんな大きな水景公園があることは福岡の街の魅力です。
中山:平成26年に「セントラルパーク構想」が福岡県と福岡市の共同で打ち出され、大濠公園と舞鶴公園を県民・市民の憩いの場として、また、歴史、芸術文化、観光の発信拠点として、公園そのものが広大なミュージアム空間となるような一体的な公園づくりが進められています。
大村美容専門学校・ルミエール(1999年、設計:高松伸)
嶋田:大村美容専門学校の頭文字「O」の形にも見える外観が目を引く建物です。大胆なシルエットのアイコニックな外観は、福岡の建築のひとつの特徴のように思います。
新しいもの好き、派手好き、お祭り好きといった福岡の県民性や、ここで昔博覧会が開催されたという歴史、豊かな自然の環境が、建築の多様性を受け入れ、特徴的な形態を生み出しているのかもしれません。
西日本シティ銀行 ココロ館(2017年、設計:日本設計)
西日本シティ銀行 ココロ館は、同一敷地内にあった研修所、独身寮、体育館を、老朽化に伴い一体的に集約建替えする事によって生まれた複合施設です。地域と共に歩む地方銀行として、住宅や公園などの周辺環境と十分に調和するよう配慮されています。
嶋田:ここは第一種住居地域のため日影規制がありますが、体育館の半分を地下に埋めるなど、ボリューム感を低減し従前よりも環境を高めつつ、その屋根面を約2,000㎡の屋上庭園として、一般に開放することで地域の交流拠点となるよう計画されています。建築計画とランドスケープがうまく融合しています。
邢:地上と距離があるためパブリックスペースとしては本来使われにくい屋上にカフェをつくり一般開放しているうえ、そこへつながる入口は壇状の構成と水景が施されており、水に導かれるようなアプローチが印象的です。大濠公園の池が実際に目の前にあるわけではありませんが、水というイメージにより大濠公園と結び付ける手法が勉強になりました。
嶋田:大濠公園から屋上庭園に至る一連のシークエンスや、「土」の風合いを生かした素材選定など、各所に「地域とつながる」という設計コンセプトが表れています。「ひとを思い、自然を敬う」という、毎日の設計でも大事にしている思想がこの建築でも実現されていることを体感しました。
邢:屋上庭園には在来種を混ぜながら季節の移ろいを楽しめる花物なども違和感なく配置され、綺麗に管理されていました。ランドスケープや水景は建物が完成したら終わりではなく、その後の維持管理や植物の成長が大事です。設計者だけでなく、ここを使う方々、維持管理されている方々の力により長く生きていくランドスケープが成立しているのだと思います。
福岡大学附属大濠中学校・高等学校(2011年、設計:日本設計)
百武:大濠公園に面してゲートのように構える「大濠の門」が印象的です。ゲートの中央には「スカイチューブ」と呼ばれる学生たちの様子が見える連絡通路があり、アクティビティを街に表す仕掛けとなっています。
嶋田:大濠公園とのつながりを開放的に演出する大胆なシルエットから、福岡の建築らしさも感じられます。
日本放送協会(NHK)福岡放送局(1992年、設計:日本設計)
1989年に「開かれた放送局」をコンセプトとしたコンペが行われ、日本設計が当選しました。
放送局が街に開かれる、ということは当時NHKではおそらく初で、テレビスタジオを貸すことなど、前例のない取り組みが検討されました。
嶋田:大濠公園と護国神社という豊かな緑に囲まれた彫刻的なボリュームが印象的です。大濠公園に対してどう建つか、ということが非常に意識されているのを感じます。テレビ局は内部にスタジオなどを抱え、普通につくると窓のない大きな壁ができます。しかし緑豊かな環境の中で圧迫感のある壁を立てたくないと当時の設計者は考えたそうです。そこで敷地を4つに分節した。4つのうち1つは広場と屋外ステージとしており、外観にも「街に開く」ことが表現されています。4分割のボリュームにはスタジオをおさめるにも最適で、プランニングがそこから決まっていったそうです。

竣工当時のNHK福岡放送センター ©西日本写房福岡
吉田:テレビスタジオは他の建物にはない音響性能などが要求されますが、そうした特有の機能は守りつつ、「街に開く」仕掛けをつくることが難しかったそうです。地上階・2階は大部分が一般の人へ開放されており、2つのテレビスタジオが公開されています。誰でも利用できる2階のレストランからは大濠公園の緑を眺めながら食事が楽しめます。
邢:外からは3つのボリュームに分かれているように見えますが凹部はコアで吸収しており4階以上の執務空間はL形の直線的な空間となっていて、外観の意匠を守りつつ機能面も担保しています。3つのボリュームの外壁は広場に面して空を広く斜めにすることで、圧迫感を減らし開放感を持たせています。

竣工当時のNHK福岡放送センターを大濠公園上空から見る。 ©西日本写房福岡
嶋田:大濠公園から広場を通って放送局の内部に至るシークエンスが幾何学により構成されています。放送局はもともと機能的でさえすれば、目立たなくてよいものでしたが、いかに人を呼んでアピールするかということを考えたそうです。それが外観の特徴的な形態にも表れていますし、内部に入ると天井、壁など一般に開放されている場所は造形的に作りこまれており、空間を体験する楽しさにあふれています。
吉田:コンペ時から提案した「開かれた放送局」というコンセプトが今でも実現され続けていることに感動しました。
福岡市美術館(1979年、設計:前川國男建築設計事務所)
「エスプラナード」と呼ばれる広場とロビー、雁行した展示室が特徴の美術館。

左:2019年リニューアルにより新設された西側アプローチ
右:エスプラナードから大濠公園を見る。
嶋田:周辺環境との連続性、特にエスプラナードから大濠公園の池を見た時の風景が素晴らしかったです。風景を切り取る際、窓や床、壁、天井等でフレーミングすることが多いと思いますが、スラブという建築の構成要素が1つあるだけで、こんな印象的な風景を作れることに感動しました。
歴史から見る福岡の都市構造
大名エリアに向かう前に、福岡城むかし探訪館にて、福岡の都市構造とその歴史をおさらいしました。
西暦1587年、博多は豊臣秀吉により碁盤目状に整備され(太閤町割)、その後、黒田長政の福岡城築城により、江戸時代は、現在の福岡の街は那珂川を挟んで東に商人の街の博多、西に福岡城を中心とした武家町の福岡と分かれていました。博多と福岡の間の那珂川には枡形門が築かれ自由な往来はなく、2都市の間には大きな隔たりがありました。
交流のない武家町と商人町の間でどこにも属さない場所だったのが現在の中州で、歓楽街として発展しました。

19世紀初めの福岡・博多絵図[福岡城下町・博多・近隣古図](九州大学附属図書館所蔵)を改変
大名エリア
百武:大名エリアには、今でも江戸時代の街割りが残っています。「かぎ型」の道路は防衛構造としての都市構造で、敵の襲来時に行き止まりの左右で待ち伏せをして攻撃をするために、直線的に通っていない、クランクした道路です。また細長い町家が連なっていた小さい町割りが今も残っているため立替が少なく、魅力的な間口の小さい商店などが建ち並び、歩いて楽しい街となっています。
一方で、明治通りや昭和通りといった主要道路沿いは再開発が進み、新陳代謝をしながら都市に活気をもたらしています。
吉田:通りの表側は再開発により大街区の高層ビルが建設され、裏側には小さい商店が並び、相互に街の魅力を高め合っている風景が面白いですね。
嶋田:幅員が狭くクランクした道路や、横への抜け道がない都市構造は再開発や車両通行の面ではネガティブな要素となりがちですが、商店を存続させ、歴史を感じる固有の街をつくる、ポジティブな要素に感じられます。

かぎ型の町割り
奥に福岡大名ガーデンシティが見える。

ジョーキュウ醤油店(1855年創業)。平成27年、仕込蔵、米蔵、表座敷など6件が国の登録有形文化財として登録された。

福岡大名ガーデンシティ(2023年、積水ハウス(総合企画) 久米設計・醇建築設計共同企業体(設計))。旧大名小学校の校庭を保存・再生した複合施設。
嶋田: 福岡城跡や城下町の歴史など、福岡ならではの都市構造が残っていることを歩いて改めて感じました。街区のスケールにより町の特性が変わり、それがコンパクトに密集しているのが福岡の魅力だと感じます。
邢:元々の建物がなくなっても、町割りは残され、再開発の下で新しい空間ができていく。街には複数の時代の層があり、歴史が積み重なって現在の町ができていることを歩いて実感しました。

19世紀当時の町割りや地形と現在の街を重ねたマップイラスト。
特記なき画像提供/日本設計
記事後編はこちら