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2023.12.01
白鬚東地区/大川端リバーシティ21

訪ねてもらいたい─東京の防災を考える隅田川沿い街歩き

今回は、私たちが創立初期に、建築設計と都市計画の両輪で携わった2つの再開発事業を訪れました。「白鬚東地区」(以下、白鬚東)は都市防災への社会的認識がまだ低かった1970年頃に、その必要性を強く発信しました。その後、都心の居住人口回復と、防災型の都市づくりが主題となっていた1980年代初頭に携わった「大川端リバーシティ21」(以下、大川端)は緩傾斜型堤防の先駆的な例となりました。東京の防災という観点から、入社2・3年目の日本設計社員4名がレポートします。


レポーターの4名。白鬚東地区にて。左から古賀 貴士 (構造設計群)、科埜 有紀(第3建築設計群)、相澤 航平 (ランドスケープ・都市基盤設計部)、藤井 達郎 (都市計画群)

 

白鬚東地区を訪ねて

白鬚東地区は、隅田川と荒川に挟まれ、地盤沈下により0m地帯が多く、軟弱地盤、木造密集家屋と中小工場の混在など、大地震による火災の危険性が高い地域とされた「江東デルタ地帯」に位置します。

東京都は昭和44年(1969年)、白鬚、亀戸大島小松川、木場、四つ木、中央(墨田区横川)、両国の6拠点からなる「江東地区再開発基本構想」を決定しました。それは江東デルタ地帯に対し、6カ所の避難広場を設け、その周辺の不燃化を再開発により行うことで防災拠点として生まれ変わらせるというものでした。日本設計はそのうち3地区の計画作成や設計監理に携わっていました。

江東デルタ地帯のなかでも最も危険度が高いとされた白鬚東地区が、6拠点のモデル地区として昭和47年(1972年)に都市計画決定されました。

1.2kmにわたり並んで配置された高さ40mの住棟自体が、大震火災が起きた際の防火壁となり、輻射熱、熱気流を遮断して、合わせて計画された広場が地域住民の避難場所となります。8万人の命を守るという計画でした。私たちは設計を通した技術的なコンサルティングだけでなく、行政・地権者・地域住民の間に立つコーディネートも行いました。

 

古賀:白鬚東は地震火災時にこの住棟自体が壁となり、熱気流を遮断して避難広場への延焼を防止する計画なので、その前の地震で住棟が倒壊しないよう、基礎の空間に巨大な水槽室などを設けて全体転倒に対して抵抗要素としたり、50年ほど前の設計時には『高級コンクリート』と定められていた材料を使用したりなど、壁となる住棟はかなり強固につくっている印象で、当時の最大限の耐震性を持たせていたことが分かります。各棟はエキスパンションジョイントで繋がっていますが、各棟間の接続部には鋼製扉やシャッターを設置して、非常時はこれらを締め切って隙間のない壁とする計画です。


住棟間のシャッター


避難ゲート

科埜:防火性においても十分に効果を持つよう設計されています。住棟には内部への延焼を防止する防火シャッター、ドレンチャーを備えています。


住戸バルコニー外側の防火庇と、ドレンチャー(写真上)。庇上部にシャッターも格納されている。

相澤:防災公園の植栽も、風害や火災時の熱風を防ぐという役割をもっています。また住戸専用バルコニーの外側に防火庇を設けて、防災活動のためのスペースを確保しています。

科埜:避難ゲートの入口には旋回式放水銃があり、市街地から広場へ逃げてきた人を火から守ります。また、住棟の5階から地上に逃げることができるよう、階段状の住棟を配置して「防災段丘」としています。


(画像左)旋回式放水銃 (画像右)防災段丘

相澤:避難経路となる階は一目で認識できるように赤く着色されています。

 

隅田川沿いを歩く

白鬚東を出て、隅田川沿いを南下して進みます。
両国の「陸軍被服廠跡」は、関東大震災の時、ここに避難した人々が火災旋風にあおられ、20分足らずで約4万人が焼死したという悲劇があった場所です。
都市の中での防火壁として生み出された白鬚東も、こうした悲劇を踏まえて計画されました。


陸軍被服廠跡

隅田川沿いは、堤防を補強する護岸基礎を親水施設として開放した「隅田川テラス」が整備されています。
隅田川の両岸約47㎞の内、約32㎞の区間で続いており、東京都心の水辺空間として、隅田川沿いのジョギングやウォーキングを楽しむことができます。


隅田川テラスから大川端リバーシティ21を見る

 

大川端リバーシティ21を訪ねて

大川端は、本川と派川に分岐する隅田川に挟まれた、特徴的な場所に位置します。
都心部の夜間人口の回復、居住環境の改善を目的とした、「大川端作戦」と呼ばれる計画が1972年に示され、その重要な拠点でした。
日本設計はマスタープラン、施設基本計画、設計監修などを担当し、プロジェクトをマネジメントする重要な役割を担っていました。

藤井:当時はまだ「スーパー堤防」という言葉もなかった頃に、堤防と都心住宅の整備を一体的に行った、当時最先端のプロジェクトだったそうです。開発当時一般的だった、いわゆる「カミソリ堤防」を、緩傾斜型堤防に改築し、防災機能の向上を図るだけでなく、まちづくりの一環として上部を公園や緑地として整備しました。建築や公園と調和のとれた堤防による、様々な水辺の空間がつくられました。その後の川沿いのまちづくりにも影響を与えています。


大川端リバーシティ21の緩傾斜型堤防と一体となった公園・緑地には「つどいの広場」「ふれあいの水辺」など、多様な水辺がつくられています。

 

防災意識の継承のために

相澤:大川端は、防災という点では土木・都市基盤による対策なのに対し、白鬚東は、建築自体が防災機能を持っています。その意味では、「土木的な建築」とも言えるかもしれません。この建築が持つ、社会的な役割を分かりやすく体現しており、建築自体が人々の防災意識に呼び掛けているとも言えるかもしれません。

科埜:白鬚東地区では、マンホールトイレや非常時は竈になるベンチ、救護スペースになるパーゴラなど、防災公園の防災設備を実際に見せていただくことができました。幸い今まで実際に防災設備を使用するほどの震災があったことはないとのことですが、住棟の自治会と、防災公園と合同で定期的な訓練をしているとのことで、また防災設備の更新などもして、防災の意識が伝承されていると感じました。


東白鬚公園のマンホール型トイレ。非常時には仮設トイレとして使用。
ほかに竈になるベンチや救護スペースとなるパーゴラなど、様々な防災設備が備えられています。

 

藤井:大川端では、すぐ側に親水空間があるため、水位の変化を日常的に感じ取ることができます。近隣住民の防災意識を暮らしの中で向上させるという点でも、意味があるものだと感じました。

相澤: 東日本大震災の後、三陸の防潮堤にも様々な議論がありました。
川や海、山など自然とともに昔から住んできたような人々は、自然を日常的によく見ていて、水位など自然に変化があると身を守るための行動ができると聞いたことがあります。そういった地域は防災の知識も継承されてきたのだと思います。

藤井:普段、東京に暮らしていると自然災害のことを意識するのは、住宅の契約時にハザードマップを見る時程度になってしまっているかもしれませんが、土木だけに頼るのではない都市防災の在り方が、今後考えていくべきテーマなのかと思います。

古賀:東京は賃貸の住居が多く、住む地域を転々とする人が多いので、昔からその場所に住んでいる人の知恵が継承されないのも防災意識が向上しないことの要因かもしれません。

科埜:暮らしている場所を正しく理解すること、いつ起こるかわからない災害を、自分の暮らしの中でどこまで身近に考えられるかが大事ですね。

 

非常時のための場を日常の活動の場に

科埜:白鬚東に実際に行ってみると、市街地側から門をくぐり住棟の西側に出ると、広々とした防災公園が広がっているという構成が分かりやすく、避難時に逃げ込める安心感のある場所として人々の意識に根ざすことができているのではないかと感じました。

古賀: いざという時に避難できるには、日頃から広場に訪れて周辺の人たちにとって慣れ親しんだ場とすることが大事だそうです。訪れたのは平日の午後でしたが、防災公園でゲートボールを楽しむ方たちの姿も見えました。

藤井: 白鬚東は、公園の配置も防災を第一に考えられています。
6拠点からなる「江東地区再開発基本構想」のなかで、白鬚東よりも後につくられた拠点である亀戸・大島・小松川団地では、防災拠点である公園を中心に、住棟が周囲に配置されました。防災(防火)のための広場が、通常時も市民の活動の場になっています。
大川端も、水害に対するものということで地震や火災とは違いますが、緩傾斜堤防が平常時の市民の活動の場、憩いの場になったのに加え市民の自然との接点になっています。
時代の変遷とともに、非常時だけでなく平常時のためにもより良い都市をどうつくるかという考え方が発展してきたことがうかがえます。

 

これからの都市防災を考える

科埜:白鬚東は、震災などの災害に対して万全に対応する、というある意味マイナスから始まった計画です。対して大川端は、川への眺望、親水性は確保しつつ、大規模な水害にも対応できるという、平常時の人の暮らしの在り方や、どう都市を良くするかという視点も含まれた開発だと思います。
多くの金額や労力が必要だったということも勿論ありますが、白鬚東が、先駆的なプロジェクトであったにも関わらず、その後、都市における防災の手法としてプロトタイプにはならなかったのも、そういったところに、ひとつの理由があるのではないでしょうか。

相澤:近年では、河川流域全体のあらゆる関係者が協働し、水害を軽減させる流域治水の取り組みによって、輪中堤や霞堤の保全、遊水地整備等が行われており、一定の浸水を許容する対策方法も広がっています。起こりうる災害の規模に対して、完全に防御する防災型のまちづくりから、人と自然の営みの折合いによって育まれてきた景観と防災の両面を踏まえつつ、人間らしい生活を送ることが出来る『災害共生型』の都市づくりが必要だと思いました。

 

一緒に訪ねてもらいたい!東京の防災を考える隅田川沿い街歩きマップ

白鬚東地区・大川端リバーシティ21と合わせて今回レポーター4名が訪れた、東京の防災を考える隅田川沿いの街歩きマップをご紹介します。

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2023年12月13日 特記なき撮影:日本設計広報室

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