訪ねてもらいたい─麻布台・虎ノ門・新橋まちあるき
2014年に虎ノ門ヒルズ 森タワーが竣工したのを皮切りに、昨年、麻布台ヒルズや虎ノ門ヒルズ ステーションタワーも開業し、虎ノ門・麻布台・新橋エリアの街はますます変貌を遂げています。
今回は中井 検裕氏(東京工業大学名誉教授)を案内人として、入社4年と2年目の日本設計社員3名がこのエリアを訪ねました。私たちが虎ノ門に本社を移して1年、日々働く場を改めて地形と歴史とともに紐解いていくと、新たな視点が見えてきました。
霞が関ビルディングの足元にて。 中井 検裕氏(写真中央左)とレポーターの3名。山岸匠(写真左・都市計画群)、
佐藤良介(写真中央右・都市計画群)、黒石ゆうか(写真右・国際プロジェクト群)。
まちあるきルートマップ
麻布台ヒルズから出発
本日のまちあるきは、昨年秋に開業した麻布台ヒルズからスタートします。
中井:初期の開発計画の検討会に私も参加していました。地形が複雑で高低差が激しい敷地なので、どのように歩行者ネットワークを作っていくか、というのがまず課題でした。ただ起伏ゆえに外周道路への搬入路の位置などが極めて限られており、そのなかで賑わいをどう切断せず繋げるかということが課題でした。
西久保八幡神社と麻布台ヒルズを結ぶブリッジ
西久保八幡神社
中井:西久保八幡神社も景観上のポイントの一つになっています。古くからある樹木をしっかり保存しつつ、アプローチをどうするか検討していました。
山岸:開発と併せて、もともとあった神社のような歴史的な要素が再発見されるのが面白いですね。
都市の良い緑地とは?
中井:また広場をどうするかというのも検討会での大きな主題でした。このような大規模開発はオープンスペースをうまくつくっていくことが重要です。ここは非常に起伏もあるし、矩形の広場ではないから、高低差や視線の抜けを生かしたランドスケープで面白い工夫ができる可能性がありました。
都市緑化の話題でいうと、東京には固有種があまりないので、ケヤキやカエデなどの武蔵野の雑木林をつくり木陰で暑さを防ぐというのが近年の東京では主流の考え方かなと思います。ただ、シンボル的な樹木はさておき、樹木は保存の一辺倒ではなく、本来は植物自身の新陳代謝や世代更新も踏まえたうえで、健全な緑の育成を目指すべきですよね。
佐藤:都市プランナーとしても、樹木をどのように残していくのがいいか、向き合うべきだなと考えさせられます。東京都が昨年の7月に「東京グリーンビズ」というプロジェクトを始動しましたね。その中で公園の整備などで伐採されてしまう樹木を一時的にストックし、別の公園等の整備に再活用できる「ツリーバンク」という仕組みができました。
こうした新しい動きも進んでいるので、開発の事業者や緑地を使う市民も含めて、都市の緑化に対するリテラシーが上がっていくといいと思います。
山岸:今年の5月には都市緑地法の改正が決定されました。良好な都市環境を実現するために、地方公共団体や民間事業者の取り組みを後押しするというものですが、都市における緑地を量だけでなく、質も含めた両面で確保することが目指されています。良い緑地を評価するために、生物多様性や、どう市民が緑を享受できるのか、といったWell-beingの視点などが挙げられています。都市における価値ある緑がどういうものなのか、と考える動きは、国をあげて進んできているように思います。
南北を貫く尾根道を歩く
麻布台ヒルズは、通称「大街区」と呼ばれる、外苑東通り、外堀通り、桜田通り、六本木通り及び麻布通りに囲まれた地区の最南端に位置します。起伏に富んだ大街区の中心には、南北を貫く尾根道が通っており、今日はその尾根道を麻布台ヒルズから北上していきます。
山岸:もともとこの地域は、最寄りの駅や幹線道路がなく、アクセスの悪さが課題となっていました。その反面、そのアクセスの悪さ故に閑静な高級住宅地となっていた面もありました。
1990~2000年代に開発機運高まり、環状第2号線の整備、駅開業(六本木一丁目・溜池山王)を中心として大型開発の計画が具体的になっていきます。
2010年代、環状第2号線の新橋-虎ノ門間が開通(2014年)するとともに、ネットワークやまちづくりの起点となる虎ノ門ヒルズ 森タワー(2014年)や赤坂インターシティAIR(2017年)が完成します。虎ノ門ヒルズ 森タワーを起点とし、新虎通りにより大街区と汐留方面の街をつなげる東西軸、虎ノ門から愛宕方面へ緑をつなげる南北軸が整備され、都市の骨格ができました。
その後さらに、面的整備が進むなかで、昨年麻布台ヒルズが完成したことで、大街区を南北に横切る尾根道も繋がって、街をつなげ、緑をつなげるネットワークが拡大しました。
黒石:以前は全然ネットワークがなかった場所が、今は高低差を生かしていろいろな場所を回遊できる街になり、都市計画の面白さを感じますね。
南北の尾根道
山岸:このエリアは高低差も激しいので、坂道がたくさんあります。
中井:御組坂は、六本木一丁目南地区(2012年)の再開発事業と一緒に整備され、その後、再開発の事後評価で坂も含めて評価されました。足元にある小さなスーパーマーケットは、特区の貢献施設として、近隣の利便施設に位置づけられていたかと思います。
尾根道から御組坂を見る。左が六本木一丁目南地区。
再開発事業の事後評価
黒石:再開発事業の事後評価とはどういうものですか?
中井:再開発事業では事前評価は、国により義務化されていますが、事後評価は港区独自のシステムです。竣工から5年を目途に行われるもので、必須項目以外にもオプションとして、事業者自身がアピールしたい点を評価対象とすることができる。たとえば公開空地がどれぐらい使われているかというようなことも事後評価委員会で評価をする。ちゃんとできていますね、と確認するものも多いのですが、公開空地の中にはあまり使われてないものもあるので、改善の必要がある場合は、改善の方向性を提案はします。
港区全体の再開発事業を対象としているので、毎年何件か評価対象があります。仕組みを運用し始めてから10年ぐらい経った。再開発事業をすれば当然の結果ではあるのですが、たとえば以前密集地だったところの道路率や不燃化率が上がった、というような結果が数値として表れます。景観など数字で出しにくいものをどう評価するかという課題もありますが、調査することでしっかり結果が分かりますので、いい仕組みだなと思っています。
アークヒルズ 仙石山森タワー
佐藤:アークヒルズ 仙石山森タワーは、2012年竣工で、大街区の真ん中の尾根道沿いでこれだけ大きいパブリックスペースをつくった初期の例だそうです。
中井:ここでも再開発事業の事後評価が行われ、非常に高評価でした。「こげらの庭」と呼ばれる緑地にはもともとの地形の高低差を利用してビオトープを配置しています。夏の暑い時には気持ち良い木陰をつくっています。
アークヒルズ 仙石山森タワーのビオトープ。
大けやき広場
黒石:保育園の子供たちが遊んでいて、街に開かれた良い広場ですね。
中井:大けやき広場の前にある保育園は、「アークヒルズ 仙石山森タワー」の事業者による創意工夫の1つとして開園したものですが、目の前の麻布台ヒルズが完成してこの辺りの風景もだいぶ変わりましたね。
佐藤:「アークヒルズ 仙石山森タワー」の緑地も、麻布台ヒルズの広場も、敷地の中・内側に入るかたちでオープンスペースが位置していますが、大けやき広場は前面道路に面して、街との距離感が近く、このエリアでは珍しいですね。
山岸:麻布台ヒルズの広場は集客力がある場所としてつくっている一方、大けやき広場は住民の生活の一部としてつくられているのですね。
佐藤:大街区のエリアは、もともと住宅地だったというのも、新宿や有楽町のような、ほかの大規模再開発が行われるエリアとは違った特色です。
黒石:江戸時代には低地は町人地、台地は武家屋敷となっていましたが、このエリアは台地で、広大な大名屋敷があったそうです。明治時代以降、その敷地に大使館が建てられ、現在もこの近辺に約20もの大使館が集中しています。
佐藤:高台で治安も良く、最寄りの駅が少ないことから静かな場所だったので、高級な住宅地として育ってきたのですよね。駅があると、アクセスは良いですが街としては線路により分断されるなどの課題もあり、現在の虎ノ門から麻布にかけての連続性はできていなかったのかなと思いました。
The Okura Tokyo
尾根道を北上し、「The Okura Tokyo」に向かいます。
「The Okura Tokyo」は、1962年に開業した日本の代表的なホテルの1つである「ホテルオークラ」を建て替え、2019年に竣工したものです。
建築家の谷口吉郎が設計したかつての本館ロビーは、現在の「The Okura Tokyo」にも再現されています。
The Okura Tokyoのオークラスクエアにて。
中井:旧ホテルオークラと、港区芝にあるプリンスホテルは、1964年の東京オリンピックに向けて建設されたものでした。実はここはもともと都市計画上の公園の敷地に建っていました。公園の中だと、本来は建て替えや建築ができないのですが、既存の建築で、しかも戦後の要人も多く宿泊した由緒あるホテルですから、2020年の東京オリンピックに向けて建て替えを可能にするために、「公園まちづくり制度」という新たな制度が作られたのです。その適用の第1号です。
東京都および港区の「公園まちづくり制度」は、都市計画決定からおおむね 50 年以上経過した 長期未供用区域の一定規模以上を地区施設等の緑地として担保することを条件 に、都市計画公園・緑地を変更する制度です。この制度の利用により、オークラ庭園と港区立の都市計画公園で一体となった緑地を生み出して都市貢献をする代わりに、本来非常に厳密な公園のルールを緩和し建て替えが可能になりました。
エントランス前の広場「オークラスクエア」には、大倉集古館(1927年竣工、伊東忠太設計)が保存再生されていますが、それも公共貢献の一部になっています。
江戸見坂
山岸:「江戸見坂」という名前の由来は、江戸の中心部に市街がひらけて以来、その大半を眺望することができたために名づけられたそうです。
中井:もともとは歩道がなかったので、この辺りもずいぶん歩きやすくなりました。
佐藤:芦原義信著『街並みの美学』の中で、日本家屋は開放的なつくりの分、敷地外周に塀がつくられ、結果として街路は家と分断されてしまったという考察があります。このエリアももともと武家屋敷が建っていたので、広大な敷地に屋敷が建つ反面、道は細いという歴史的な背景があるのかもしれません。
山岸:尾根道は歩いていると、歩道が狭く壁が迫っている箇所も多いですが、江戸見坂の辺りは公園と一緒に階段を整備したりしていて歩いて気持ち良いですね。歴史も大事ですが、人が歩いて気持ち良い空間にするためには、開発と連動して、動線をより魅力的にするのが大事だなと思います。
佐藤:歴史や本来持っている地形は大事にしつつ歩道の拡幅など整備を進め、より歩きたくなる街になっていくといいですよね。
米国大使館前交差点
山岸:米国大使館の正面の交差点は、霊南坂・榎坂・汐見坂と3つの坂が集中している場所です。
中井:米国大使館前交差点に面するThe Okura Tokyoの角は街に対するメインゲートです。坂が集まる箇所でもあるし、霞ヶ関側から来た時にアイキャッチとなる場所で、しかもコーナーで入り口にも良いところなので、きちんとデザインすることが大事でした。The Okura Tokyoの庭園としての構えがあり、そこから赤坂インターシティAIRの緑地まで緑が続いています。
山岸:この交差点に面する虎の門病院の再開発事業も現在進んでいます。日本設計は基本構想・基本計画から携わって都市計画を行っています。この交差点の前も広場となり、赤坂インターシティAIRへ繋がる大緑道の構想が引き継がれて、さらなる緑のネットワークができる予定だそうです。
霊南坂(写真右)と汐見坂(写真中央左)がぶつかる交差点。奥にオークラの庭園入口、写真左側が虎の門病院の建て替えを含む再開発事業敷地。
霞が関ビルディング
赤坂インターシティAIRの緑地を横目に見つつ、霞が関ビルディングへ向かいます。
中井:1968年に竣工した日本初の超高層ビルである霞が関ビルディングは、3度リニューアルされています。2008年に隣地の旧文部省などをPFIで再開発した『霞が関コモンゲート』の竣工によって、一体となった広場「霞テラス」が整備されました。
佐藤: 1968年の竣工当時、将来的な建物更新の際は、実際に2008年に行われたように隣地も含めた一体的な計画にする、という想定で特定街区が定められていたというのを知りました。一体的に整備されたからこそ、周りの建物に程よく「囲われている」独自の広場が実現していると思います。そこまで見据えて都市計画を定めるすごさに感動しました。都市計画は、何十年も先にどんな街にしたいかを考えないといけないということを改めて感じました。
黒石:中井先生が、霞が関ビルディングの広場から見える空が以前と比べて狭くなった、と仰っていたのが印象的でした。日本初の超高層ビルとして、今開発がどんどん進む虎ノ門の、全ての歴史を見てきた場所なんだなと感じます。
ニュー新橋ビル
東に折れて、外堀通りを歩き、新橋の方向へ。
黒石: 1945年の空襲で新橋駅西口が焼失し、戦後、闇市が存在していましたが、1961年に新橋駅西地区の再開発が決定し現在の新橋駅SL広場の前に建つ有名なニュー新橋ビルが、1971年に竣工していますね。
中井:ニュー新橋ビルは、新橋駅東口に建つ新橋駅前ビルと東西のペアのようなもので、ニュー新橋ビルも新橋駅前ビルも、今の再開発制度の前身である市街地改造事業で建設されました。
ニュー新橋ビルは元々の闇市を内包するような建物ですが、2018年に東京都が公表した耐震診断結果では震度6強~7の地震で倒壊・崩壊の危険性が高いとされているので、建て替えの予定です。
桜田公園
黒石:こんなところに公園があるとは、なかなか気づかないですね!サラリーマンの皆さんで賑わっていますね。
中井:公園に隣接している建物はもともと小学校だったのですが、小学校は統廃合により廃止されました。もともと学校だったこともあり、建物で囲まれていてあまり街に対して開いていない公園です。先ほどのニュー新橋ビル、SL広場と合わせてこの桜田公園も含め、2街区に渡る大きな再開発事業が検討されています。
もともと新橋のエリアは伝統と文化の盛んな場所です。烏森は、新橋芸者や、新橋演舞場なども有名で、東京の中ではトップランクの芸者さんが育っていました。
新橋東口
西口から駅を横切って東口の方へ。
中井:先ほど、ニュー新橋ビルとペアと話しましたが、同じ市街地改造事業で建設した新橋駅前ビルです。こちらも再開発事業が検討されています。
佐藤:新橋は建物も道も人も、すごい密度感ですね。だからこそ再開発も必要とされているのだと思いますが、今日こうして虎ノ門から歩いてくると、人の賑わいの差も感じます。今後、新橋駅前だけでなく、新橋駅より東側のエリアで築地まちづくりや東京高速道路(KK線)再生プロジェクトなど大規模なまちづくりが控えています。その中で、西側の虎ノ門も独自の魅力で国際的な拠点となるよう育てていかなければいけないなと、虎ノ門エリアに多くかかわる日本設計で都市計画に携わる一員として、また日々虎ノ門で働く身として感じました。
まちあるきを終えて
山岸:アークヒルズ 仙石山森タワーのビオトープや、The Okura Tokyoの庭園など、もともとの地形と緑を生かして、様々なレベルに多様な空地をつくっているのが大街区ならではの在り方で面白いですね。開発は個々では事業者も敷地も用途も違いますが、全体としては地形と緑を生かすという思想で繋がっているというのが見えてきました。
アークヒルズ 仙石山森タワーは、再開発の都市貢献のあり方が画一的だったところから、地形や歴史、周辺ネットワークを読み取って計画に盛り込もうという時代の先駆けのプロジェクトだったのだと思います。
黒石:まちあるきをする前は、このエリアにこれだけの高低差があるとは知らなかったので、こんなに多様な地形に驚きました。
山岸:建物単体ではなく、エリア一帯で、周辺との動線計画とも組み合わせてオープンスペースを考えられるというのがこのエリアの開発の特徴ですね。
黒石:個々の建物や場所は知っていても、今回歩いてみて、地形やまちづくりと重ねて見たことで、点と点が線につながり、面に広がっていく、都市を知る醍醐味を感じられたまちあるきでした。
2024年6月5日 撮影:日本設計広報室