ヒストリー

7. 地域に根ざす

地域のちからを生かすためにすべきこと。

日本万国博覧会(大阪万博)の開催ではじまった1970年代の建築は、モダニズムの流れを受け継いだ“ユニバーサル・スペース”がキーワードとなっていました。あらゆる場所、どのような用途にも対応できるこの考え方は、均質で、高機能な建築を大量供給することが進歩の形であった70年代には、まさに究極の建築思想だと考えられていました。その当時の私たちも「工業技術院筑波研究センター」の全116棟を、設計からわずか7年半(1972年10月〜1980年3月)で概成させるというそれまでには考えられない仕事を成し遂げていました。しかしその時代にあってもなお、建築は場所をつくる芸術であると考えていた私たちは、地形を生かし既存の森を残す棟配置を心がけていたのです。

筑波研究学園都市建設以前の計画敷地全景
(提供/建設省)

工業技術院筑波研究センター
(撮影/テクニカルアート)

その場所に固有の価値を。

1970年代後半には建築技術のさらなる進化とともに、“ユニバーサル・スペース”をより高度に進化させた箱型の現代建築が主流となりました。鉄、コンクリート、ガラスなどの基本的な素材を用いながらも高い品質と機能性を実現したこれらの建築形式は、それまで大都市にしかなかった高機能で高品質の建築物を、地方でも建設することを可能にしました。私たちも1986年に「徳島県庁舎」を竣工させましたが、均等グリッドの外壁、PCコンクリートにタイルを用いた外装、そして機能性と合理性を重視した均質な平面計画をもつ徳島県庁舎は、当時の庁舎建築のひとつの完成形を示すものとなりました。その徳島県庁舎においても、川沿いの景観をつくる棟配置と60本のケヤキを植えた駐車場は、30年のときを経て、地域空間が独自の価値を育てることにつながっています。

徳島県庁舎
(撮影/川澄・小林研二写真事務所)

地域に根ざした建築のすがた。

ある意味で建築の「パターン化」を可能にした箱型の現代建築は、均質性と機能性だけでなく経済的なメリットも大きかったために様々な地域で数多く作り出されるようになりました。しかしそれは建築の均質化だけでなく、地方都市の均質化をも生み出すことに繋がったのです。その光景を目にした建築家たちは、合理性や機能性は手に入れたが地域独自の風土・文化・独自性を手放してしまったのではないか、と気づきはじめました。そこで私たちはより地域に根ざした建築のありかたを模索。そして1992年に竣工した「富山市庁舎」は私たちが地域の建築に取り組む上での道筋を示すものとなりました。立山連峰とそれに囲まれて広がる富山平野と市街地。その中心に“大きな家”をコンセプトとした市庁舎を建てよう。それは、それまでの市庁舎建築のステレオタイプに陥ることなく、景観や空間を人々の日常生活に溶け込ませることのできる建築でした。機能だけでなく、市民が親しみを持って訪れてくれる場所がある市庁舎。地域に根ざした“大きな家”がそこにはありました。

富山市庁舎
(撮影/A to Z studio)

地域の記憶や文化を次の世代に。

建築は、その地に根を張り世代を超えて引き継がれていくものです。だからこそ、その場所の独自性を建築のあり方を通して表現したい。特に、市庁舎など地域の性格を決定付ける大規模建築を設計する私たちには、これは果たすべき大きな使命でした。低層階の屋上の太陽光パネルを甲府盆地の美しいブドウ棚に見立てた山梨県の「甲府市庁舎」。秋田杉を用いた軒が地域の古民家の姿を思い起こさせる「秋田市庁舎」。そして福井県の「高浜町役場 高浜公民館」は、青葉山と調和する切妻屋根を基調に、瓦屋根や焼杉などその土地の風土に合った素材を採用しています。ほかのどこでもなく、その地域にあるべきもの。建築にはそれが備えるべき機能と同様に、その地域の記憶や文化を後世に伝えていくという大切な役割があるのです。

甲府市庁舎
(撮影/日暮雄一)

高浜町役場 高浜公民館
(撮影/稲住写真工房)

秋田市庁舎
(撮影/日暮雄一)