ヒストリー

6. 国際化・その先にあるもの

はじまりは偶然の出会いから。

創立まもない1970年代の初め、各国の高層ビルを視察していた香港の実業家が「新宿三井ビルディング」の端正な外観を気に入り、外装のコンサルティングを飛び込みで依頼してきました。当時香港ではまだ本格的なカーテンウォール(CW)を外装とする高層ビルは前例がなく、私たちが開発したCWは香港で一大ブームとなりました。これが海外での仕事のはじまりです。そして、当時事務所があったビルで、もうひとつ偶然の出会いがありました。同じビルに事務所を構えていたJICA(国際協力事業団)の方からODA(政府開発援助)についての話があったのです。開発途上国に無償援助で施設を建設する。当時のメンバーたちは、その仕事に大きな魅力を感じました。知らない場所で何年もかかる仕事に携わる不安よりも、“公共のための建築”への期待と高揚感のほうがはるかに上回ったのです。民間事業と開発援助という海外業務の流れは、こうして2つの偶然の出会いからはじまりました。

初の海外業務 チャイナビルディング

初のODA業務 パラグアイ国職業訓練センター

知らなかったから、何でもやってみた。

80年代に入り日本企業の海外活動が盛んになってきたころ、私たちの海外業務も多様な展開をみせはじめます。高層ビルの建設を企画していたあるインドネシアのクライアントが、西新宿の高層ビル街を訪れて、『新宿三井ビルディングのデザインが欲しい』と申し出てくれたのです。そして「ジャカルタ・ザ・ランドマークタワー」が誕生し、その後の多くのプロジェクトに繋がりました。中国での初期の仕事は、私たちの上海現地法人が入居する「上海国際貿易センター」や北京の「京広センター」など複合用途のタワーで、これらは中国の都市が近代化へ大きく発展するきっかけとなりました。またこの頃にはODAの取組みも広がりをみせ、とりわけ着手から25年以上にわたって携わる「ケニア中央医学研究所」は、拡張を重ねながら新たな感染症対策やワクチン開発に貢献してきました。海外での仕事にことのほか熱心だったのは、創立時の中心人物である池田武邦でした。もと海軍士官であった池田は日本が真に国際化するには、経済関係の強化だけでは不十分で、他国との相互理解こそが何よりも大事だ。国情や文化が違っても必ずどこかにお互いを分かり合える芯がある。私たちが海外で仕事をする意味は、建築を通じてその芯を見つけることにある。この池田の信念は今も、私たちのDNAに深く刻まれています。

ジャカルタ・ザ・ランドマークタワー
(提供/熊谷組)

ケニア中央医学研究所
(撮影/Duncan Willetts)

上海国際貿易センター

北京京広センター
(撮影/GxK)

突然の波乱、そして新しい可能性へ。

997年のアジア通貨危機は、突然やってきた暴風雨のように海外進出していた日本企業を激しい混乱の渦に巻き込みました。各地に駐在していた私たちの仲間の多くが帰国を余儀なくされ、海外の仕事はかろうじてマレーシアの「サラワク大学」やベトナムの「バックマイ病院」などのODA案件が支えていました。そんな時、また小さな偶然が訪れたのです。この頃から私たちは海外の留学生を採用していたのですが、ある事情で組織を離れていた元所員が、彼の地元上海で日本設計として仕事をしたいと申し出たのです。日本設計の一員としてとして活動できるなら、日本でも上海でもおなじでしょう、と。彼とその仲間たちの努力は折からの経済成長に支えられ花を咲かせます。深圳市の「中央公園のランドスケープ」を手はじめに、ハウステンボスから学んだ自然との共存をテーマとした「威海金銭頂埋立て計画」、「アクロス福岡」で大成した緑化建築の流れを汲む「天津泰達MSD複合開発」、BIMを活用し3次曲面でデザインされた「廊坊大劇場」など、夢を現実に変えるようなプロジェクトにめぐり合うことが出来ました。これらはみな、小さな絆を手放さずにいたことに招かれたものだったのです。

マレーシア サラワク大学
   

ベトナム バックマイ病院
(撮影/Jimmy Yuwono)

深圳市 中央公園

威海金銭頂埋立て計画

天津泰達MSD複合開発 全景
(撮影/ナカサアンドパートナーズ)

天津泰達MSD複合開発 公園からつながる屋上庭園
(撮影/ナカサアンドパートナーズ)

梦廊坊大劇場 全景

梦廊坊大劇場 アプローチ

誰かの未来をともに考えるという幸福。

中国、東南アジアをはじめ、目覚ましい経済成長を遂げる国々で今求められているのは総合的な都市開発と一体になった建築プロジェクトです。その過程は高度成長時代の日本に重ねることができるかもしれませんが、私たちはそういう既視感をもって眺めることは決してありません。すべての国で、地域で、求めるものもそこに到達する道筋もみな異なるからです。一つ一つのプロジェクトを導いているのは、携わる人たちと手探りの中で紡いだ絆です。それをお互いに握りしめ、一緒に未来を考える。それによってさらに深まる絆が次の出会いへと導いてくれるはずです。世界のどこの誰とでも必ずつながることができる。それを「建築」を通じて体験することのできる幸福を、私たちは世代を超えて受け継いでいきたいと考えています。