ヒストリー

5. 場所をつくる

ひとが集う場所をつくる

1968年に竣工した「霞が関ビル」は、日本初の超高層ビルというめずらしさもともない、低層階につくられた店舗エリアは多くの来客で賑わいました。70年代に入って竣工した「京王プラザホテル」の低層階には、当時のひとたちが慣れ親しんでいた街の商店街と同じスケールの店舗エリアをつくり、さらには1階を通り抜けにすることで、人々の活気と往来を生み出すことを目指しました。また「新宿三井ビルディング」では、新宿駅からつながる通りに面する敷地の奥に建物を配棟することで、ビル足もと前に誰もが集い佇むことのできる広場を作り出し、店舗と水景で囲まれたケヤキの木が生い茂る憩いの場を誕生させました。

京王プラザホテル コリドー
(提供/京王プラザホテル)

新宿三井ビルディング 55広場
(撮影/川澄・小林研二写真事務所)

ひとと街が賑わう場所をつくる。

90年代に入ってからは、建物のスケールも1つの街区の大きさまで拡張し、その場所のアメニティ(心地よさ)と賑わいをどのようにつくるかがテーマになりました。静岡の「アクトシティ浜松」では、全長約470mの敷地に劇場やコンサートホール、広場、そしてホテルや商業施設が入った高さ212mを超える超高層タワー、さらにはイベントホール、雰囲気の違う空間が次々に現れることで訪れる人々に驚きと楽しさを届けています。「新宿アイランド」では、水や緑とともに世界のアーティストによるパブリックアートを配置。ビルの足もとから広がる空間と点在するアートというアクセントで、街区全体が小休止の時間を心地よくすごす雰囲気に彩られています。パブリックアートの中でも赤い“LOVE”のモニュメントは、西新宿を象徴する場所として、多くの外国人観光客も訪れる名所ともなっています。

アクトシティ浜松
(撮影/三輪晃久写真研究所)

新宿アイランド アプローチ広場
(撮影/川澄・小林研二写真事務所)

敷地と外をつなぎ、新たな賑わいをつくる。

21世紀に入る頃には、日本設計が考える「場所づくり」は、街区を超えて建物同士をつなぐことで、ひとの流れや賑わいを創出する発想にまで発展します。例えば、「渋谷マークシティ」は各線の渋谷駅から道元坂上を建物でつなぐことで新しい人の流れを生み出しました。行政とともに取り組んだ富山市の「グランドプラザ」では、百貨店の建替に合わせ街の目抜き通りである総曲輪(そうがわ)商店街に顔を向けて、ガラスで覆われた半屋外空間の「まちなか広場」をつくることで、空洞化が進んでいた地区に賑わいを取り戻すことに貢献しました。街をつなぎ、新たなひとの流れをつくることは、都市スケールで建築を考える私たちの新たな仕事のスタイルとなっていきました。

スクランブル交差点と渋谷マークシティ
(撮影/エスエス東京支店)

グランドプラザ
(提供/エスエス北陸支店)

時間を超えて、境界を超えて。

街の賑わいとともに、ひとが集い憩う「場所をつくる」というスタイルは今、新たなステージを迎えています。「日本橋室町東再開発(コレド室町)」では、複数の建物の1階の店舗を通りを挟んで向き合うように配置することで、商店街らしい賑わいの街並みを創出。かつてこの場所にあった老舗の店舗がお客様を迎えるハレの場所を蘇らせました。「札幌市北3条広場」では、道庁前の北3条通りの一部を、歴史遺産であり市のシンボルである道庁赤れんが庁舎(旧本庁舎)に調和する広場としてデザイン。行政と民間がお互いの境界を超えて一体となり、札幌の歴史を後世に伝える広場をつくりました。そして2010年、東京の霞が関に「霞テラス」と名付けられた6,000㎡の広場がオープンします。この広場は1967年に建てられた「霞が関ビル」の再整備と、それに隣接する文部科学省・会計検査院の建替を行うPFI事業(民間主導の公共施設整備)とを合わせることで生み出されたものでした。東京の中心に今までどこにもなかったスケールの市民広場をつくる。これは、40年以上前の「霞が関ビル」計画から理想的な完成形として思い描かれながら実現されていなかったものです。その意味では、これで「霞が関ビル」が真の意味で完成したと言えるのかもしれません。私たちはこれからも様々な境界を超え、「場所をつくる」ことへの挑戦を続けていきます。

日本橋室町東再開発(コレド室町)
(撮影/川澄・小林研二写真事務所)

札幌市北3条広場
(撮影/新津写真)

霞テラス 全景
(撮影/ForwardStroke)